― 自分の気持ちを「わたしは〜」で伝えることの大切さ ―
「私はこう思った」
その言葉を、どれくらい素直に口にできているだろう?
気づけばわたしは、
「相手がどう思うか」「相手を傷つけないか」ばかり気にしていた。
“主語がわたしじゃない”会話を、
知らず知らずのうちにしていたことに気がついた。
🫧“わたし”がいなかった頃の会話
―― 相手に合わせすぎて、自分の本音が見えなくなっていた ――
家族との会話では、
「言い方がキツい」「説明が下手」「どうしてそう捉えるの?」――
そんなふうに言われることが多くて、
どう話しても、否定されたり責められたりするような気がしていた。
恋人との会話でも、
「ここ行きたい?」と聞かれたとき、
自分の気持ちより先に、「行きたいなら行ってもいいよ」と答えていた。
「また何か言われるかも」「傷つけないように」「嫌われないように」って、
相手の顔色をうかがいながら、慎重に言葉を選んで話していた。
🫧“主語が相手”だった私
―― 思いやっていたはずが、 心は疲れてた――
でも今思えば、
「相手を思いやってたつもり」だったけど、
本当は――
自分が傷つかないように、無意識に自分を守ってたのかもしれない。
だから言葉が遠回しになって、伝わりづらくなって、
誤解されて、またその誤解を解こうとして、
今度こそ伝わるように…って、相手を思いやりながら言葉を選んで、
でもうまくいかなくて――
そんなことを繰り返しているうちに、心がどんどん疲れていった。
🫧「わたしは〜と思う」と素直になれた日
― 素直な言葉が、相手の反応をやさしく変えた ―
あるとき、勇気を出して、素直に伝えてみた。
それは、相手を責めるためじゃなくて、
ただ「わたしは、そう感じたよ」という、気持ちの報告のような伝え方だった。
すると、相手の反応が少し変わった。
ちゃんと話を聞いてくれたし、受け止めてくれる空気があった。
そして気づいたのは、自分の気持ちをそのまま伝えられた日は、
あとからモヤモヤしたり、「ああ言えばよかった」と後悔することがなかったこと。
伝えたあとも、心は穏やかで、すっきりしていた。
“わたしの気持ちに素直になれた”っていう小さな満足感が、
私自身にも、相手との関係にも、静かにあたたかさを残してくれていた。

🫧“わたし”を主語にするって、守護するってこと
― ありのままの言葉が、わたしの心を守ってくれる ―
「わたしはこう思った」「わたしはこうしたい」
そんなふうに、“わたし”を主語にして話すようになって、
少しずつ、自分との距離が近づいてきた。
相手に合わせることがやさしさだと思っていたけれど、
ほんとうのやさしさって、自分の気持ちを偽らないことなのかもしれない。
素直に言葉にできたとき、
相手を動かそうとするための言葉じゃなくて、
“わたしの気持ちに責任を持つ”ための言葉だったんだ。
それは相手への誠実さにもなっていたし、
何より、自分の心をまっすぐ守るやさしい境界線になってくれていた。
🌸さいごに
主語が“わたし”になると、
心の奥がふっと軽くなるような、そんな心地よさがあった。
素直に言葉を届けることは、
自分自身との関係も、相手との信頼関係も、少しずつ育ててくれる。

まわりに無理に合わせるんじゃなくて、
ほんとうの気持ちを、やわらかく届けていくこと。
その一歩ずつが、
お互いの関係を、やさしい循環で包んでくれる気がする🕊️✨️